山羊と狐と海岸で

主に雑記、サッカー(jリーグ、マリノス、代表)、音楽、テレビ、旅行などその他趣味に関してです。

祖母と別れと思い出で

2022年5月11日

祖母が亡くなった。享年88歳。

仕事中にいきなりかかってきた母親からの電話は祖母が亡くなったことを告げる電話だった。入院をしていたわけでなく、自宅で亡くなり、多臓器不全、所謂「老衰」というものだ。最近はめっきり体が弱ってしまい、自力でも起き上がるのが困難になりつつあったので、万が一の事態はいつかきてしまうのだろうと少しばかりの覚悟はできていた。

いや、出来ていたつもりだったというのが正しい。なんだかんだでもう少し長生きするだろうという気持ちだったり、四半世紀以上一緒に暮らしてきた家族が居なくなってしまうというのがリアリティを感じられなかった。

たまに夢を見た。祖母が亡くなってしまう夢だ。その時は何かをきっかけに夢から覚めることができたが、今回は一向に覚めなかった。次の日に実家に戻ったが、自宅で亡くなった場合事件性がなくとも警察の元で検死が行われ、自宅に戻ってくる。その検死が時間がかかり、自分が自宅に帰ってから、祖母が帰って来たのは約4時間後であった。

葬儀屋さんが連れて帰ってくれた祖母は本当に死んでいた。夢でもなんでもなかった。

 

思い出と後悔

多大な愛情を注いでくれた祖母だったが、自身が同量の感謝や愛情を返すことができたかはわからない。

四半世紀一緒に暮らし、居て当たり前の家族だったからこそ、感謝や敬意が薄れ、時にはひどい態度をとってしまうことも多々あった。ひどい言葉を投げつけてしまったことは今でも残る大きな後悔だ。それらに対する謝罪はできぬまま祖母は旅立ってしまった。

そしてもう一つの後悔は、祖母の人生がどのようなものだったのか本人の口から聞くことなく終わってしまったことだ。自分自身が知っている祖母は「祖母」という側面しか見ていなかった。当たり前だが人間、誰も祖母として誕生しない。祖母がどんな子供時代でどんな暮らしをして、どんな環境下で育ち、何を思ってきたのか。祖父との出会いや子供たちの誕生、孫ひ孫の誕生と、その節々で何を思い、88年の人生を終えたのか。

もう本人の口からそれを聞くことはできなくなってしまった。以前に吉田羊さん主演ドラマの「生きるとか死ぬとか父親とか」を見てから、祖母が亡くなる前にインタビューをして、反省を語ってもらおうと考えていた。しかしまだまだ長生きするという過信から後回しにしてしまった代償はあまりにも大きい。

何より、その話を通じて祖母との会話を楽しむということが一切できなくなってしまった。

 

そんな後悔が多く感じられる中、数少ない祖母孝行ができたこともある。それは定期的に実家に帰り、顔を合わせて話する機会があったことだ。1人暮らしを始めた頃、周囲からは笑われるくらいの頻度で実家に帰っていた。結婚してからも月1回くらいで帰ることができた。

中でも幸運だったのが、数年前に従姉の子供が誕生したことだ。なかなか祖母と2人では気恥ずかしかったりする時でも、従姉とその赤ちゃんがいれば場が盛り上がり、話が弾むことも多かった。そこで色々と話せたことは今思えばとてもいい時間だった。

もう1つは結婚と結婚式を見せられたことだろう。結婚の報告をした際にはとても喜んでくれたようだった。何より結婚式の出席や中座の際に一緒に歩けたことは本当に幸せだったと感じる。むしろ一緒に歩けたのは祖母の執念だろう。その頃から体調を崩し、もしかすると一緒に歩けないのではないかという周囲の心配もあったが、祖母は周りが驚くくらい元気に歩いた。昨年は結婚式に出席するという明確な目標が生きる活力になっていたのかもしれない。

母親からも結婚式の時の祖母はとてもいい顔していたと言っていたように、最後の最後に一番の祖母孝行ができたかもしれない。

 

祖母が亡くなって

葬儀も終わり、やっと落ち着く時間ができた。亡くなってしまったという現実は受け入れているはずだが、ふとした時に「あ、祖母にはもう会えないのか」と思う時がある。実家に帰れば当たり前にようにいた祖母がもういない。こう書いていると、もしかしたら自分はまだ受け入れられていないのかもしれない。

どこかで祖母が生きているかのように思う時もある。祖母の声が頭をよぎるような時もある。実家に帰れば昔のように花の手入れをしている祖母がいるように思えてならない。まぁ仏教的には四十九日まではこの世にいるとかなんとかだった気がするから、暇な時に枕元にでも立ってもらおう。

納棺される前日の夜には最後には我が親族らしい、まるで映画「サマーウォーズ」の1シーンのような賑やかな飲み会が開催され、祖母も楽しむことができたのではないだろうか。四十九日やお盆もきっと同じように賑やかな集まりになるだろう。きっと祖母も帰ってくるのが楽しいだろうから、お盆のきゅうりの乗り物ももう何頭かいた方が早く来れるかもしれない。祖母自身も親族が集まるのを楽しみにして、戒名にも「集」を入れたくらいなのだから。

今度のお盆には好きだったおはぎを供えてあげよう。

ありがとう、ばあちゃん。ゆっくり休んでください。

 

感謝を込めて。